くにさき画報

死するとも なほ死するとも我が魂よ 永久に留まり御国護らせ

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踊る!晋作オンステージ!


彦島が外国に奪われそうになったというお話の続きである。」






「♪三千世界のぉカラスを殺しぃ~♪」











「なんか変なのキターーー!」





bakan1.jpg
馬関戦争。下関戦争、四カ国連合艦隊下関砲撃事件とも言う。

1863年に尊皇攘夷の急先鋒、長州藩が馬関海峡(関門海峡)を通過するアメリカ船ぺンプローク号を攻撃、
その後もイギリス、フランス、オランダの艦船に砲撃を加えた。
1864年、この四か国は連合艦隊を結成、軍艦17隻・兵員約5000人を投入して長州藩に報復を行う。これが馬関戦争。

w12tyoshu11.jpg
彦島沖に集結する四カ国連合艦隊。この写真は国東半島沖の姫島近海とも言われているが詳細不明。
(彦島も姫島も知っているが多分、彦島だと思う。)


連合軍・陸戦隊に占拠された前田砲台。
この戦争で長州藩は完敗、戦後処理を含めた和議交渉という難しい局面に長州藩は当時、脱藩の罪で投獄され、謹慎中だった高杉晋作を交渉の正使に任命する。
有能な人材であれば問題児であっても登用するあたりが当時の長州藩の強さだろうか。
それではその交渉の様子をリアルに再現してみよう。
ちなみに連合国側はイギリス海軍キューパー提督だったらしいが画像がみつからないので、
同行していたパークス公使にご出演願った。




「オレが長州藩代表、シンサク・タカスギこと宍戸刑馬である。」




「ンーフン?アナタ、以前イギリス公使館ヲ焼キ討チシタ人ニ似テマスネェ?」





「知らぬ。そんな事より和議の話なのだが。」



「アーハ?イイデショウ・・・。デハ我々ノ主張ハコウデス。
オマエラ、ジャップハ身ノ程モワキマエズニ、一方的ニ攻撃シテキマスタ。
全ク猿ノ分際デ、フザケヤガッテデース。
トリアエズ彦島ヲ租借シテ下サイ。香港ノヨウニ・・・。」



「ウオオォン!!」





ビクッ!





「そもそも、日本国は、高天原より始まり、はじめ国常立命(くにのとこたちのみこと)ましまして、
続いて、いざなぎ・いざなみ二柱(ふたはしら)の神、天(あめ)の浮橋(うきはし)に立ち、天の瓊矛(ぬぼこ)をもって海をさぐられ、その矛(ほこ)の先からしたたるしずくが島になった。まずできたのが、淡路の国のおのころ島…」


「オーノー、コイツ危ナイ奴デス・・・。ナゼコンナ、キ●ガイト交渉セナアカンネン・・・。」





「というわけで我が国は神のおわす国であり、これまで一坪たりとも他国に貸したことはなく、
ましてや我々が租借など勝手に決める事などできようか?いやできまい。
まず八百万の神々に伺いを奉り・・・。」


「オーミスター・・・頭痛ガシテキマスタ・・・モウ30分ハ一人デ喋ッテマスガ、ソロソロヤメヤガッテ下サイ。
彦島ハモウイイデス、ヤッテランネーデス。金デ解決シル。
トリアエズ賠償金300万弗払ッテクダサーイ。




「ウオオォン!!」





ビクビクッ!





「元はと言えば攘夷決行日を定めた幕府に責任があると言うのに、我々に支払えとおっしゃるか!
そもそも我々のような地方の小藩にそれほどの莫大な賠償金を支払う能力などあろうか?いやあるまい!
藩祖、毛利輝元公がこの地におわしめされたのは今より二百六十余年前・・・。」


「ノーノーノー、ミスター、オーケーデス。ワカリマスタ。ダカラモウ、勘弁シテクダサイ・・・。」





このように緊迫した交渉の中、彦島租借を突っぱね、さらに賠償金を幕府に押し付けるという荒業を高杉晋作はやってのけた。

敗戦の戦後処理という難しい状況下、エキセントリック先生・高杉晋作は長州藩を救い、さらに日本の領土を守ったのである。

IMG_0784_1.jpg
現在の下関に長州藩の砲台が再現されている。
馬関戦争の三年後に高杉晋作は27歳の短い人生を終える(←若い!)

*彦島租借について
イギリス政府は彦島租借を要求した事はないと主張しているが、当時、交渉に臨席していた日英双方の通訳が彦島租借のエピソードを証言している。
イギリスの目的は幕府との交渉を有利に進める事であって、彦島は取れたらいいなぁー程度だったのではないかと個人的には思う。
もし高杉晋作が強気で出てなかったら、オマケ程度の感覚で領土を奪われていたかも知れない。





ウハハハハ!晋作先生、さすがです!毛唐どもが面食らっております!」




「フフフ・・・ちょっとキレたヤツを演じさせれば僕の右にでる者はいないよ・・・。」




「この人の場合、絶対に演技じゃないわ・・・。」






『踊る!晋作オンステージ!』  おわり、、、

しかし
エキセントリック晋作先生の人生はこんなもんじゃない。
晋作オンステージはまたそのうちやりたいと思います。



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ちなみに高杉晋作も靖国神社に祀られている。
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テーマ:幕末 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/07/17(月) 02:41:00|
  2. 幕末維新烈風伝
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3

九州人に見せつけた会津士魂

おかげさまで西南戦争3部作、過去最高のヒット数だったようです。
いまいち評判の悪い薩摩藩のイメージアップに多少は貢献できただろうか。別に特に何もいい事書いてないのであまり変わらんか(笑

しかし、やはり幕末~維新という動乱の時代を駆け抜けた連中は、哀しい程に愚直で、愛しい程に不器用な、実に愛すべきヤツラでございます。
そしてここにもう一人、不器用なヤツがいる。


以前の投稿で秋月藩士の墓の事を書いたが、実はこの墓地にはもう一つ史跡に指定された「斗南藩士 郡長正(こおり ながまさ)之墓」がある。

斗南(となみ)藩というのは旧会津藩の事。
幕府の為に最後まで戦った会津藩は戊辰戦争で薩長連合を中心とする官軍にボコボコにされ、朝敵とまで蔑まれ、挙句に青森の下北半島に領地替えくらわされてしまい、辺境の地で会津復興を目指して建てられたのがこの斗南藩。

なぜ下北半島の斗南藩士の墓が九州にあるのか。
そもそも郡長正(こおり ながまさ)って誰?何をした人?


郡長正(こおり ながまさ)
彼は会津藩家老・萱野権兵衛(かやの ごんべえ)の次男である。
萱野権兵衛は戊辰戦争敗戦後、その敗戦処理を行い、また藩主・松平容保親子の助命嘆願に尽力する。
その結果、家老である田中土佐、神保内蔵助、萱野権兵衛の三人が戦争責任者となったが、他の二人はすでに自刃していたので、一人首謀者として1869年に切腹した。

萱野家は断絶し遺族は「郡(こおり)」という姓を名乗る事になる。

会津藩再興を目指す斗南藩は藩校「日新館」失っていた為、優秀な人材を同じ佐幕派として戦った友好藩に留学させていた。

郡長正ら7名は現在の福岡県の小笠原藩・育徳館に留学していた。
長正の成績はかなり優秀だったようだ。
留学して2年後、事件は起こる。

ある日、長正は故郷の母親への手紙の中で「寮のメシが不味い、会津の干し柿が食べたい」と書いた。
これに対し母親は「おまえは斗南へ行った人々の苦労を知らぬのか、食べ物が不味いだのと泣き言を吐くとは会津の武士の子が情けない」と叱責の手紙を返してきた。
長正は自分の浅はかさをわびる手紙を出し、その後、この母からの手紙を身につけていたが、長正はこの手紙を落としてしまい、不運にも小笠原藩士の同級生達の知るところとなる。
地元を侮辱されたと感じた小笠原藩士達はこの手紙を教室に張り出し、他の生徒達の面前で「会津」を口汚く侮辱したという。
もとより敗戦国で朝敵となった会津藩のこと、何を言われたかは簡単に想像できるが。

それから5日後、小笠原藩主の臨席のもと行われた校内での剣道大会で長正は5人抜きを行い周囲を驚かせた。
しかし大会が終わった直後、長正は寮の一室で腹を斬った。

享年16歳。

落ちぶれたりとはいえ、かつては幕府を支えた会津藩二十八万石の意地をみせたか。会津の白虎隊を思い起こさせる長正の自刃にはさすがに小笠原藩士達も豊津の人達も度肝を抜かれたようだ。

この一件は結果的に会津の名誉を守る事になった。
豊津の人々は長正を手厚く葬り、会津の方角に向けて墓標を立てた。異郷の地で少年が見せた「会津士魂」に敬意を払い、また謝罪の意味を含めて今日でも慰霊祭を執り行っている。
また育徳館の流れを汲む福岡県立豊津高校の中庭には、萱野家の菩提寺の墓石や鶴ケ城の庭石を配置した郡長正記念庭園が造られている。

時代の大きなうねりの中で意地を貫いて消えていった不器用な16歳の少年のお話。(実際のところ、この件は諸説あって定かではない)


余談ですが会津若松市の天寧寺には会津入りした土方歳三によって遺髪を葬ったとされる「近藤勇」の墓と、「萱野権兵衛」の墓、そしてこの「郡長正」の墓があるそうな。


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小ネタのつもりが長くなった・・・。

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  1. 2006/07/11(火) 00:33:00|
  2. 幕末維新烈風伝
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:7
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特攻隊の亡霊クニオと少女サキの
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