くにさき画報

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西南戦争【西郷、起つ!編】


(鹿児島市城山公園から観た桜島)


「さて、いよいよ九州全土を巻き込んだ内戦、西南戦争をやるぞ。」




「と、いう事は西郷さんね。」




「うむ。今回は予想以上に長くなったので3回に分ける。明治維新の中心勢力だった薩摩が、維新最終段階に於いて最大の障壁となる歴史の皮肉に感動せよ。」





20060704020755.jpg
1871年11月12日、岩倉具視を特命全権大使とする視察団が欧米を訪問していた頃、留守を預かっていたのが西郷隆盛を中心とする西郷内閣だった。
西郷内閣は以下の改革を発案、実行に移していた。

①警視庁の発端となる東京府邏卒(らそつ)の採用
②各県に司法省所属の府県裁判所の設置
③田畑永代売買解禁
④東京女学校・東京師範学校の設立
⑤学制の発布
⑥人身売買禁止令の発布
⑦散髪廃刀の自由、切り捨て・仇討ちの禁止
⑧キリスト教解禁
⑨国立銀行条例の制定
⑩太陽暦の採用
⑪徴兵令の布告
⑫華士族と平民の結婚許可
⑬地租改正の布告

西郷のカリスマもあってか、この時代には珍しい平穏な日々が続いていたが、対外問題で重要懸案があった。

鎖国を続ける朝鮮問題である。

一般的には西郷は武力で朝鮮を屈服させるべしという、いわゆる「征韓論」を唱えたと言われているが、残っている史料にはそのような事を西郷が主張したという記録はない。

むしろ西郷は武力行使を拒否した上で、朝鮮を説得する為に自分を全権大使として派遣するよう求めている。

0005_r.jpg
結局、内政優先を唱えた大久保利通の一派との対立の末、1873年10月23日、西郷は辞表を提出し、郷里・鹿児島へと戻る。
この時、新政府の軍部や官僚で重要なポストに就いていた別府晋介・桐野利秋・村田新八・篠原国幹などの有能な人材が西郷を慕い共に鹿児島へと戻っている。

鹿児島へ戻った西郷は政治から離れ、禄を失った武士達に率先して農業を教え、私学校を開いて子弟を教育するという生活を送っていた。

しかし明治新政府にとっては西郷は脅威以外の何物でもなかった。

維新の勝者でありながら特権を失い不満を募らせる九州の武士達の中に、絶大な求心力を持つ西郷隆盛と強固な信頼で結ばれた有能な部下達、それを誰よりも理解していたのは同じ薩摩出身で、かつては西郷の同志だった大久保利通自身だったのかも知れない。


1876年10月、熊本で「神風連の乱」、福岡で「秋月の乱」、山口で「萩の乱」が発生、新政府はこれを徹底的に弾圧した。
そして最も警戒すべき薩摩に送り込んだスパイが捕まった事を知ると、危険を察知したのか、すぐさま鹿児島の陸軍倉庫から武器・弾薬を大阪に移送しようとした。
しかし私学校生徒らはこれに激昂、鹿児島各地の弾薬庫を次々と襲撃してしまう。

この知らせを聞いた西郷は「なんという事を・・・。」と呟いたといわれている。
しかし続々と西郷の下へと集結し始めた自分を慕う者達を前に西郷は挙兵を決意する。





「長い。」



「読め。
これから始まる熊本~鹿児島ツアーについてこれんぞ。ちなみにお前、幕末・維新では誰が好きか?」



「幕末・維新?そうね、やっぱり坂本竜馬!


ryouma.jpg


「土方歳三!」


toshizou.jpg


「渋沢平九郎!」


shibusawaheikurou.jpg


「お前ソレ単純にで選んでないか?」







 西南戦争【西郷、起つ!編】   終わり


              西南戦争【死闘!田原坂!編】に続く





幕末維新の英雄は人物の信念と行動で選ぶべし(必ず好みのタイプがいるハズ)
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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/07/04(火) 02:49:30|
  2. 幕末維新烈風伝
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3
<<西南戦争【死闘!田原坂!編】 | ホーム | ヤル気らしい>>

コメント

こんちは

西郷さんは尚、鹿児島で不動の人気らしく県民性にも現れているようです。

日常で「征韓論」的に攻められたらどうしようなんて考えていましたが、

>史料にはそのような事を西郷が主張したという記録はない

アレ?そうなんすか。

実際、日常でそんな人いないし、鹿児島人からしたら
「なんという事を・・・。」考えてんだ
って感じですねw
  1. 2006/07/04(火) 12:28:19 |
  2. URL |
  3. 怖がりブレイバー #-
  4. [ 編集]

こんにちは、ブレイバーさん

西郷さんの盟友や子弟にバリバリの征韓論者がいた為、西郷さんが征韓論の首魁のように語られているだけです。

大久保利通や岩倉具視を政敵に回していたのでイメージ戦略でやられた感じですね。

  1. 2006/07/04(火) 15:28:53 |
  2. URL |
  3. コウノスケ #-
  4. [ 編集]

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  1. 2009/05/20(水) 23:56:18 |
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