くにさき画報

死するとも なほ死するとも我が魂よ 永久に留まり御国護らせ

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九州人に見せつけた会津士魂

おかげさまで西南戦争3部作、過去最高のヒット数だったようです。
いまいち評判の悪い薩摩藩のイメージアップに多少は貢献できただろうか。別に特に何もいい事書いてないのであまり変わらんか(笑

しかし、やはり幕末~維新という動乱の時代を駆け抜けた連中は、哀しい程に愚直で、愛しい程に不器用な、実に愛すべきヤツラでございます。
そしてここにもう一人、不器用なヤツがいる。


以前の投稿で秋月藩士の墓の事を書いたが、実はこの墓地にはもう一つ史跡に指定された「斗南藩士 郡長正(こおり ながまさ)之墓」がある。

斗南(となみ)藩というのは旧会津藩の事。
幕府の為に最後まで戦った会津藩は戊辰戦争で薩長連合を中心とする官軍にボコボコにされ、朝敵とまで蔑まれ、挙句に青森の下北半島に領地替えくらわされてしまい、辺境の地で会津復興を目指して建てられたのがこの斗南藩。

なぜ下北半島の斗南藩士の墓が九州にあるのか。
そもそも郡長正(こおり ながまさ)って誰?何をした人?


郡長正(こおり ながまさ)
彼は会津藩家老・萱野権兵衛(かやの ごんべえ)の次男である。
萱野権兵衛は戊辰戦争敗戦後、その敗戦処理を行い、また藩主・松平容保親子の助命嘆願に尽力する。
その結果、家老である田中土佐、神保内蔵助、萱野権兵衛の三人が戦争責任者となったが、他の二人はすでに自刃していたので、一人首謀者として1869年に切腹した。

萱野家は断絶し遺族は「郡(こおり)」という姓を名乗る事になる。

会津藩再興を目指す斗南藩は藩校「日新館」失っていた為、優秀な人材を同じ佐幕派として戦った友好藩に留学させていた。

郡長正ら7名は現在の福岡県の小笠原藩・育徳館に留学していた。
長正の成績はかなり優秀だったようだ。
留学して2年後、事件は起こる。

ある日、長正は故郷の母親への手紙の中で「寮のメシが不味い、会津の干し柿が食べたい」と書いた。
これに対し母親は「おまえは斗南へ行った人々の苦労を知らぬのか、食べ物が不味いだのと泣き言を吐くとは会津の武士の子が情けない」と叱責の手紙を返してきた。
長正は自分の浅はかさをわびる手紙を出し、その後、この母からの手紙を身につけていたが、長正はこの手紙を落としてしまい、不運にも小笠原藩士の同級生達の知るところとなる。
地元を侮辱されたと感じた小笠原藩士達はこの手紙を教室に張り出し、他の生徒達の面前で「会津」を口汚く侮辱したという。
もとより敗戦国で朝敵となった会津藩のこと、何を言われたかは簡単に想像できるが。

それから5日後、小笠原藩主の臨席のもと行われた校内での剣道大会で長正は5人抜きを行い周囲を驚かせた。
しかし大会が終わった直後、長正は寮の一室で腹を斬った。

享年16歳。

落ちぶれたりとはいえ、かつては幕府を支えた会津藩二十八万石の意地をみせたか。会津の白虎隊を思い起こさせる長正の自刃にはさすがに小笠原藩士達も豊津の人達も度肝を抜かれたようだ。

この一件は結果的に会津の名誉を守る事になった。
豊津の人々は長正を手厚く葬り、会津の方角に向けて墓標を立てた。異郷の地で少年が見せた「会津士魂」に敬意を払い、また謝罪の意味を含めて今日でも慰霊祭を執り行っている。
また育徳館の流れを汲む福岡県立豊津高校の中庭には、萱野家の菩提寺の墓石や鶴ケ城の庭石を配置した郡長正記念庭園が造られている。

時代の大きなうねりの中で意地を貫いて消えていった不器用な16歳の少年のお話。(実際のところ、この件は諸説あって定かではない)


余談ですが会津若松市の天寧寺には会津入りした土方歳三によって遺髪を葬ったとされる「近藤勇」の墓と、「萱野権兵衛」の墓、そしてこの「郡長正」の墓があるそうな。


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小ネタのつもりが長くなった・・・。

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テーマ:史跡 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/07/11(火) 00:33:00|
  2. 幕末維新烈風伝
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:7
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コメント

初めまして

どもです。
自分、幕末の頃が好きなんですよ。
特に西郷さんが。
坂本竜馬さんも好きなんですけどね。
西郷さんの敬天愛人って言葉、いいよなあ、
なんて思ってます。
ですんで、また寄らせて頂きます。
凸ヾ(゚▽゚ ) ポチッ
  1. 2006/07/11(火) 11:28:04 |
  2. URL |
  3. かっぱやろう #-
  4. [ 編集]

おお!

「ふまじめざんス」のかっぱさんではないですか。
まじめなコメント有難うございます。

ああ、他のブログで知ったんですが「竜馬」ではなく「龍馬」が正解らしいです・・・。

「ふまじめざんス」もよく覗き見しちょりますw
  1. 2006/07/11(火) 16:50:47 |
  2. URL |
  3. コウノスケ #-
  4. [ 編集]

ども~

たいした意地もなく、落ちぶれるだけの不器用な18歳がここにいますが。
少しは「会津士魂」を・・・・いや~、無理っすw
  1. 2006/07/12(水) 19:26:50 |
  2. URL |
  3. 怖がりブレイバー #-
  4. [ 編集]

なにー

いくらでも挽回可能じゃないですか。
「人は死ぬ瞬間まで精進すべきだ」
↑コレ、名前忘れちゃったけど特攻隊員の言葉。
  1. 2006/07/12(水) 22:28:31 |
  2. URL |
  3. コウノスケ #-
  4. [ 編集]

コウノスケさん、いつも勉強させてもらってますよ。こういう「小ネタ」どこから探してくるのかしら、感心。幕末の話、むかーし、司馬遼太郎の「跳ぶが如く」を読んで少しは知っていたので、興味深く読まさせてもらいました。コウノスケさんって、すごい熱いこころを持っていますよね。
またお邪魔します♪
  1. 2006/07/13(木) 07:10:17 |
  2. URL |
  3. Yuka #gK54MRCE
  4. [ 編集]

ユカさん、こんにちは!

実は余り知られてないような小ネタが大好きなもので・・・。
僕が歴史好きなのを知ってる友人とかがいろいろ情報をくれるので僕が現地調査を行ってるだけです(笑
  1. 2006/07/13(木) 17:50:33 |
  2. URL |
  3. コウノスケ #-
  4. [ 編集]

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  1. 2012/05/25(金) 19:23:27 |
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特攻隊の亡霊クニオと少女サキの
「祖国日本」を知る旅。








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