くにさき画報

死するとも なほ死するとも我が魂よ 永久に留まり御国護らせ

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西南戦争【さらば!ラストサムライ達!編】

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「1877年8月15日、宮崎での戦闘で大敗を喫した西郷隆盛は、翌16日に薩軍の解散を宣言、残った精鋭部隊だけで包囲網を突破、9月1日、鹿児島の城山に最後の陣を敷く。」




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城山は標高107m程度で、山というより丘の印象を受ける。
9月6日、鹿児島に上陸した政府軍は城山を完全に包囲した。

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西郷と薩軍幹部らが整列したという西郷洞窟。
洞窟というより洞穴と言った方が正確か。

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9月24日、政府軍による城山総攻撃。
既に自らも被弾していた西郷は遂に自刃、西郷と共に薩摩を支えてきた歴戦の勇士達はその後も戦い続けるも悉く戦死、ここに驚異の武闘派勢力・薩摩はその武勇を誇った歴史に幕を下ろす。



「国家はこれから隆盛になり、前途には必ず喜ばしいことが続くだろう」

「篠原国幹(しのはら くにもと)」
天皇からも絶賛された指揮能力を持ち、薩英戦争以来、薩摩の戦争全てに参戦、
“冷炎薩士”の異名を持つ。
1877年3月4日、田原坂の激戦にて戦死。


「いずれ青い目の奴らと戦う時の為に、格好の演習相手になってやろう」

「村田新八(むらた しんぱち)」
大久保利通に次ぐ秀才。岩倉海外視察団の一員でもあり、海外情勢に詳しく、西南戦争も勝ち目が無い事を知りつつも、兄と慕う西郷と命運を共にする。
1877年9月24日、城山攻防戦にて自刃(既に戦死していたとも言われている)。




「おいどんな無学で天下の事は判らぬが、しかし思うに今日の太平は長く続かぬものと考える。」

「桐野利秋(きりの としあき)」
西南戦争において前線で薩軍の総指揮をとっていた人物。西郷自刃を見届けた後もなお戦い続けた薩摩最強剣士の一人。「文盲で人斬り」というイメージは小説の影響。城山で戦死。



「ごめんなったもんし!」

「別府晋介(べっぷ しんすけ)」
そう叫びながら涙を流して西郷を介錯した人物。戊辰戦争以来、常に最前線・最激戦区で戦い続けた勇士。既に歩けない程の手傷を負っていた彼は、西郷介錯後、後を追うように自決する。







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桜島を見下ろす南洲墓地、そこに彼らの墓はある。

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1879年、西郷の遺体が埋められたこの地に、有志によって九州各地に散り散りになっていた西郷軍の遺骨2023名分が集められた。

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桐野、篠原、村田、別府など歴戦の勇士らが西郷を護る様に眠る。



『ぬれぎぬを
    干そうともせず
   子供らが
  なすがまにまに
    果てし君かな』  勝海舟



「己が信念の為なら地位も名誉もあっさり捨てちまう、これぞ日本男児ではないか!はっきり言ってなんだが平成日本人なんざ金持ってるだけの軟弱ヘタレ民族に見えらぁ。お前ら本当にオレ達と同じ日本人か?疑わしいぜ!」



「また調子にのって・・・戦争すりゃいいってもんじゃないでしょ?」




「しかし九州以外では薩摩って人気ないんだよな。西郷さん個人は別として。」




「人気ないとかじゃなくて、むしろ評判悪いよね。強いからって調子に乗って無茶したからじゃない?」




「う~ん、なぜか暗殺集団の新●組やコウモリ野郎の坂本●馬の方が人気があるっつーのはどうかと思うが。」





「また敵をつくる発言を・・・。」









西南戦争【さらば!ラストサムライ達!編】 終わり



あ、いや、土方サン、好きッス。
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竜馬LOVEです、ホントは。
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  1. 2006/07/06(木) 19:47:37|
  2. 幕末維新烈風伝
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西南戦争【死闘!田原坂!編】


「さてさて、1877年1月、明治政府は鹿児島から大阪へ武器・弾薬の移送を試みたが、西郷隆盛の私学校徒がこれを強奪、この事件を切欠に西郷は決起を決意する。その後のお話。」





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1877年2月、西郷率いる薩軍が進軍を開始、
目指したのは明治政府の九州最大の軍事拠点「熊本鎮台」が置かれた「熊本城」。

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薩軍は西郷に賛同した九州各地の武士達と合流し勢力を増しながら北上、1877年2月22日、「熊本城」を包囲する。

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開戦前の熊本城。西郷側は熊本鎮台はさほど抵抗せずに投降するだろうと考えていたようだ。

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しかし、政府軍側、熊本鎮台司令長官「谷 干城(たに たけき)」は熊本城周辺の市民を避難させ、さらに薩軍が大砲を隠せないように射程距離内の家屋を焼き払い、部下達には徹底抗戦を指示、この時より実に52日間に渡る篭城戦となる。

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政府軍は熊本城を救援すべく南下を開始、しかし政府軍の重火器類を運搬できる唯一の経路、「田原坂」には既に薩軍が堅固な陣を敷き待ち構えていた。


「秋月の乱」を鎮圧した乃木 希典(のぎ まれすけ)率いる小倉の歩兵第十四連隊は、田原坂に最初に進入するも、この地で完膚無きまでに打ちのめされ、軍旗まで奪われてしまう。

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この田原坂を突破しなくては熊本城を救援できない政府軍は、田原坂一帯を包囲するように陣を敷き、波状攻撃を仕掛ける。

そして田原坂は地獄の激戦地と化す。

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戦いに慣れない政府軍は士気の高い薩軍に苦戦、さらに降り続く雨は薩軍の抜刀隊によるゲリラ作戦に有利に働いた。


これに対して政府軍は「サムライにはサムライを」と、旧士族からなる強行白兵戦部隊「警ら抜刀隊」(巡査抜刀隊・警視庁抜刀隊とも言う)を投入する。
この警ら抜刀隊の士気は極めて高く、死傷率も高かったが序々に戦況を変えていった。(この抜刀隊には福島県(旧会津藩)出身者が多く志願していた)

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至近距離から数十万発の弾丸を打ち合い、刀と刀で白兵戦を行い、数メートルの陣地を奪い合う凄まじい激戦が17日間に渡って展開、政府軍・薩軍合わせて4,000人以上の死傷者を出し、政府軍がついに田原坂を突破する。

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現在も田原坂周辺には官軍墓地・薩軍墓地が多数点在する。

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かつて死闘が繰り広げられたこの地も今では桜とつつじの綺麗な公園になっていた。僕が田原坂を訪れた時、地元の人たちがツツジの花見をしていた。
あまりにのどかで、ここが激戦地だった事を忘れそうになる。


西南の役全戦没者名簿碑。

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田原坂を突破され、幾度と無く試みた熊本城攻略も失敗、大分・宮崎での戦いも敗走した薩軍は本拠地・鹿児島へと撤退を開始する。
写真は熊本城公園。西南戦争の前哨戦とも言える神風連の乱、そのメンバーが戦死した場所でもある。平和だ。




「これが日本近代史最激戦地「田原坂」だ。それぞれの部隊の細かい動きなどを書いていくと本一冊分になりかねんので簡単に流れだけ説明した。」



「戦没者名簿碑が凄いわ。官軍側にも鹿児島県や九州出身者が多いのは驚き。戦場で親戚や古い友人と敵として再会したって話もあるわね。」



「因みに、この西南戦争、東京の新聞社などが記者を派遣して、日本中がほぼリアルタイムで戦況を知ったという最初の「特派員」の事例でもある。」



「東京から見ればやはり薩軍は時代遅れに見えただろうな・・・。」




「皮肉だろ?1867年の戊辰戦争の時には、旧幕府・会津・新撰組残党などを古い時代の勢力としてボコボコにした薩摩が、わずか10年後には立場が逆転しちゃってるという・・・。この時代の変化の速さは尋常じゃないな。」








西南戦争【死闘!田原坂!編】 終わり

          西南戦争【さらば!ラストサムライ達!編】に続く




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  1. 2006/07/05(水) 01:14:14|
  2. 幕末維新烈風伝
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特攻隊の亡霊クニオと少女サキの
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