上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
- --/--/--(--) --:--:--|
- スポンサー広告
-
-

「『ハウルの動く城』がTV放映されたな。どうだった?」

「
感動したわ!さすが宮崎駿監督ね!」

「
無理するな。顔にワケがわからなかったと書いてある。」

「書いてないわよ!なに言ってるの!?」

あ、ハウル面白かったです。
今回は正月に兵庫の兄ヤンの家から四国を横断して帰って来た時に立ち寄った道後温泉です。
熱帯夜の不快指数をさらに上げるような冬服の写真ばかりですが、宮崎駿監督つながりで強引に取り上げたいと思います。
宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」に出てくる湯屋、その奇抜な日本建築が印象的ですが、
その湯屋を描く時に参考にしたと言われているのが目黒雅叙園や渋温泉金具屋、そして道後温泉本館など、
時代を先走ってしまった近代和風建築と言われています。

道後温泉の諸施設は既に江戸時代に整備されていたが、1894年に、初代町長・伊佐庭 如矢(いさにわ ゆきや)の
「百年経っても真似できないものを造れ」との大号令の下、城大工など一流の職人を動員し、
伝統的な楼閣工法に西洋近代建築技術を組み合わせ、この威容を誇る道後温泉本館は誕生した。

建物自体が重要文化財であるが現在も普通に営業中。

道後温泉については夏目漱石の「坊っちゃん」にも書かれている。
「坊っちゃん」や「マドンナ」に扮装したガイドがいる。

軍人さん。「坊っちゃん」の世界を演出しようという粋な計らいだろうがまるで憲兵にしか見えない・・・。

内部ですが「千と千尋」を彷彿とさせる混雑っぷりに参った。記念に湯につかる程度でした。

用途不明な扉や階段があちらこちらに。全く不思議な造りの建物だ。
ちなみに道後温泉本館の三階の部屋の畳の下に、建設に携わった大工達が自分の名前を落書きした後があるそうな。


「凄い~!かくれんぼとかしたい!」

「建物だけを見れば実に素晴らしいのだが・・・。」
「だが?」
「ぱちんこ・・・。」
「実は道後温泉本館の目の前にパチ屋があったり、本館を見下ろすような高層マンションに取り囲まれてたりする。」

「これじゃあ、コスプレしたりしてどんなに雰囲気だそうとしても一撃で粉砕されるわね。」

「まぁ、このパチ屋、パチ屋にしては音も小さくネオンも控えめで遠慮は見られたが、歴史的建造物の目の前に建てちゃいかんよ。」

「お金儲けもいいけど、
空気読めよって事ね。前も言ったワ、このセリフ・・・。」
『ショック!千と千尋の道後温泉』 おわり
↓前に言ったのはココです。
「かずら橋」で考える伝統の継承と保存→人気blog歴史ランキングへ→FC2 Blog Rankingへ松山市、現在、道後温泉本館周辺の景観整備中。
テーマ:香川・愛媛・高知・徳島 - ジャンル:地域情報
- 2006/07/22(土) 01:35:46|
- 知られざる日本
-
| トラックバック:0
-
| コメント:13


「広島みやげといえば『もみじまんじゅう』。もみじまんじゅうは宮島が発祥の地だという。」

「へぇ、今じゃ全国どこでも売ってるわね。」

「ここからはワシが話そうか・・・。」

「
伊藤博文公!お目にかかれて光栄です!」

「おじいさん、こんにちは!ところでおじいさんはどなた?」

「無知は黙ってろ
小娘!」

「ホッホッホッ、まぁ良いではないか。それにしても
可愛い娘さんだねぇ。」

「
ゾゾッ・・・、何コノ人・・・。」

明治時代、伊藤博文は弥山の三鬼大権現を篤く信仰し宮島を度々宮島を訪れている。
ある時、茶屋で休んでいた伊藤博文に茶を差し出した娘の手を見て伊藤博文が
「紅葉のような可愛い手、焼いて食べたらおいしかろう」と、のたまったそうな。
それを傍らで聞いていた茶店の女将の話によって、散って落ちたもみじの葉をモチーフに焼いたのがもみじまんじゅうの始まりだとか。
もみじまんじゅうが初めて焼かれたのは1907年、伊藤博文が暗殺されたのが1909年、時系列上有り得ない話ではないものの、
おそらく伊藤博文死後に宮島を深く愛していた故人を偲んで後から作られた話だと思われる。

今ではあらゆるバリエーションのもみじまんじゅうが売られており、宮島ではほとんど焼きたてを食べる事ができる。

中でも揚げもみじは異色。ここまできたかとw
でも意外とおいしかったです。

「さすがです、閣下!『紅葉のような可愛い手』など並みの男には言えません!」

「ほっほっほっ、戯れで申した事がかような事になろうとは・・・。」

「おじいさん、それって今では
セクハラですから。というか
パワハラ?」

「おま・・・なんつー事を・・・。」

「・・・。」

余談ですが、もみじまんじゅうを一躍メジャーにしたのは島田洋七。
《以下引用》
1970年代の漫才ブームの頃に「もみじまんじゅう~!」というギャグ(?)の影響で売上が十数倍に跳ね上がったそうだ。
ブームが終わってももみじまんじゅうは売れつづけ広島みやげとして完全に定着した。
島田洋七の功績に感謝した最大手にしき堂の大谷照三会長は、お礼に現金5000万ほどを手渡そうとしたが、
洋七は「我々も
もみじ饅頭のお陰で売れた」と受け取らなかった。
が、洋七は今でも広島へ行くと、飲食店ではタダ、という。店がお金を受け取らないらしい。
それは現金を受け取らないB&Bに、大谷会長が感謝の気持ちを表す為、広島の飲食店に対してB&Bの飲食代は受け取らずににしき堂に請求書を回せと指示してるそうだ。
《引用終わり》

「
島田洋七ステキ。
あたしの中では島田洋七>>>モラルの壁>>>
セクハラじじぃになったわ。」

「ワシ、もう帰る。こんなブログ
二度と来ない。」

「閣下、お待ちを!
閣下ーッ!」
宮島のセクハラじじぃ おわり
伊藤博文は元々、朝鮮併合反対派。
人気blog歴史ランキングへFC2 Blog Rankingそんな伊藤を暗殺した朝鮮人、歴史的大自爆だったりする。
- 2006/07/19(水) 13:56:18|
- 知られざる日本
-
| トラックバック:0
-
| コメント:5